Hへ



Hくんへ

はじめまして。
私の名前はAと言うことにしてほしい。

このメールは佐藤さんから頼まれて書いている。

僕は誰とも音信不通の状態だ。
これから先もこうして他の人には、
メールを書くこともないと思う。

SNSと呼ばれるアカウント全部削除した。
このフリーメールアドレスだけは、
姉から親に生存を知らせるために作成してあった。

このメールもたまに図書館でしか見る事ができない。

そのアドレスを姉から聞いて、
佐藤さんは、メールを送ってきた。

はじめは無視していた。
もう僕のことを知っている人には、
僕のことを忘れてほしかった。


またそのアカウントを削除して、
別のアカウントを作ることは簡単だった。

でも、なぜか削除できず、
僕は佐藤さんから送られてくるメールを読んでいた。

あなたの人生で人を助けてほしい。
死ぬ時に後悔しないでほしい。

この言葉はずっと僕の体の中に残っていた。



佐藤さんとは以前同じ職場だった。
僕は病院の看護師だった。

男で独身の僕は、当直勤務が多かった。
労働基準法で当直勤務時間は決められているけれど、
そんな事は人手不足の病院には関係ない話だ。

ひっきりなしに来る急患の対応で、
食事の時間、仮眠の時間は取れない。
交代時間の引き継ぎができない。
定時で帰れる事は、ほとんどない。

結局翌日の休みは寝るだけだ。

また起きて、
コンビニの弁当を食べて、
出勤して、
急患の対応に追われる。

普段は電車通勤だったけど、
この日は仕事の後、
友人に会う約束をしていたから、
久しぶりに車で出勤した。

いつもの当直だ。
いつものように、
一睡もできなかった。

眠い目をこすり、車に乗った。

少し眠りたい・・・。
と思ったが、いつものように定時には帰れず、
約束の時間が迫っていた。

ブラックコーヒーを自販機で買い、
ポケットに入っていたガムの袋を開け、
口に放り込んだ。

車に乗り込み、
キーを差し込み、エンジンをつけた。

いつも歩いてくる道を車で走り、
駅を過ぎると、いつもとは違う方向へ向かった。

慣れない交差点だった。
久しぶりの運転で、緊張はしていた。

新学期が始まる時期の、
12年前の4月は暖かかった。

あまりの暖かさで、ものすごい眠気が来た。

ドンと、何かに当たった音がした。

何かにひっかったように車が動かなくなった。

人が走って来て、
バックをするようにと、
運転席の僕に両手で合図をした。

車を後ろにバックさせると、

下から横たわった子供が出てきた。

赤いランドセルを背負った、
登校中の小学生の女の子だった。
その子は頭を地面に強く打って、即死だった。



僕の人生は終わったとその時確信した。

そこからの意識はほとんどない。

あらゆるところからお金をかき集め、
全部払えるものは払い、
3年の刑を言い渡された。

一人の命を奪った。

こんな自分はもう生きてはいけない。
生きる資格はない。

毎日悪夢にうなされ、
吐き気と頭痛がおそい、
死にたいと思っていた。

刑務所にいる間は
自殺ができないように、
監視をされていた。

死ぬことも許されないとその時思った。

出所して、今はとあるところで働いている。
誰にも居場所は教えていない。

出所しても生きているのは、
被害者家族に、
お金を払わなければいけないと、
弁護士に言われたからだ。

これからずっと一人で生きて行く。
そのつもりでいた。
ずっと独身で結婚はしないつもりだった。

しかし、昨年、
ある女性との間に、子供ができた。

「堕ろしてほしい。」

懇願したが、彼女は一人でも生むと聞き入れなかった。

僕は過去のことを彼女に話し、
結婚はできないことを告げた。

そんなことは、関係ない。
この子を産むと彼女は言った。

昨年暮れに、その子は生まれた。
2960gの女の子だった。

体中が震えた。
頭をハンマーで殴られたようだった。

正直、裁判所で判決が下った時より衝撃で、
息ができないくらい、胸が苦しくなった。

「おめでとうございます。元気な女の子です。」

と看護師が赤ちゃんを僕に差し出した。

はじめは躊躇していたが、
強引に赤ちゃんを渡された。

僕は震える手で抱っこした。
落とさないようにするのに、必死だった。
涙が溢れて止まらなかった。


この手で、僕は、命を止めた。

こんなに尊い命を。
こんなに小さな命を。

この世に生まれてくるまで、
母親がお腹の中で愛情を注いできた命を。

僕は、殺してしまった。

事故を起こした時より、
罪の意識が沸き起こった。

いや、罪の意識がより深くなった。

自分が親になってはじめて、
子供ができてはじめて、
命の重さが体にしみていた。

2960gの命の重さが、
僕の胸に突き刺さった。

ずっとずっと、
命を抱いて、
涙が溢れて止まらなかった。



僕が父親になってしまったら、
人殺しの子と、
この子はいじめられる。

そう思って、認知はしたけれど、
籍は入れていない。

でも、この自分より大切と思える命を、
守ってやらなければいけないと思った。

僕は、ひとりの命を止めた罰に、
ひとりの命を育てていくと覚悟した。

Hくん。

今、苦しいと思う。
君はまじめな性格だと、聞いたよ。

ひとりの命を奪い、
自分を責めているだろうね。
でも、死んではいけないよ。

被害者もそれは求めていない。

働いて、被害者に償いのために、
お金を払い、
罪の意識は忘れないようにすること。

そして、何年かかってもいいから、
君の気持ちが落ち着いたら、
子供を持って欲しい。

命の大切さを感じられれば、
自分がしたことの重大さが、
身にしみて理解できる。

それが本当の罪のつぐないではないかと、
今は思う。

こんなに愛情をかけた命を、
こんなに大切だと思える命を、
僕は罪の意識を持ちながら、
育てている。

愛情をかければかけるほど、
この子が成長するほど、
罪の意識は大きくなる。

この子が、僕が殺してしまった、
小学生の女の子と同じ年になったら、
僕の罪の意識がさらに深くなるだろう。

年を重ねれば重ねるほど、
命の重さを感じて、辛くなっていくだろう。

その辛さを感じる事が、罪の償いだ。

この子が成長していくのと同時に、
僕が命を奪ってしまった子供に、
そして親に、
申し訳ないと、昨日よりも今日、
今日よりも明日、
深く思っている。

そして、今まで過酷な労働をさせていた、
病院側を恨んでいたけれど、
やっと自分が悪かったと受け入れられた。

危険を自分で回避できたはずだ。

友人との約束の時間が迫っていても、
連絡して、仮眠をとればよかった。

ただ、それだけのことだ。
ただ、それだけのことができなかった、
自分の弱さが原因だ。

子供にそう教えなければいけないことを、
子供ができて、やっと気がついた。

Hくん。

死のうと思っているなら、
その前に僕に連絡をしてくれ。

僕は君の一番の理解者になれると思う。

僕なら、力になれる。

僕なら、君の気持ちがわかる。

つらい。
つらい。
つらいよ。

でも、生きるんだ。

死んではいけない。

君の家族にも、
子供を失う悲しみを
味合わせてはいけない。

生きるんだ。

罪は消えないけれど、
罪滅ぼしに、生きるんだ。

生きて、命の意味を感じるんだ。

君からの連絡をいつでも待っている。




Hへ。

これが、Aさんからのメールだ。

遅れてごめん。

おまえが自殺したと聞いたのは、
久しぶりに地元に戻ってきた時だ。

友人から聞いた時、
あまりのショックで、
詳しいことは、その時は聞けなかった。

小学校1年生の入学式の後、
初めてのクラスで隣の席になった。

人見知りのお前は、
隣に座る私をちらりと見て、
見ないふりをして席に着いた。

なんでもノートに細かく書いて、
くそまじめなのに、
テストで自分の実力を発揮できず、
要領の悪いやつだと思っていた。

動物の世話が上手だった。

そんなおまえが、
事故で人を殺め、
自らも命を絶ってしまった。

中学校を卒業してからは、
一度も会ったことがなかったけれど、

とても悲しかった。

助けられなかった、
と思った。

助けられる人はいなかったのか。
自分の気持ちを話せる人はいなかったのか。

弱いお前を、
生きろと言ってくれるひとは、
いなかったのか。

本当に助けられる人は、
同じ経験をした人しかいない。

私では、助けられない。
私では、生きていいと、言う資格がない。

そう思って、Aさんに連絡をとって、
メールを書いてもらった。

Aさんにも辛い思いをさせたが、
Aさんしか、救えないと思った。


天国であったら、
ひっぱたいてやる。

そして、このメールをプリントアウトして、
おまえにたたきつけてやる。


悲しい。

お前が自殺をしてから、
ずっと後にその事を知ったけれど、

お前の死は、
年月が経っても、
どんなに月日が流れても、
悲しむ人がいるんだ。

幼い頃の姿が、
涙を流させる。


今度生まれ変わったら、
絶対に死なせやしない。

天国で待ってろ。

後何年後かわからないけど、
この手紙をもって、
会いに行くから。

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